横浜市の希望ヶ丘地区センター

 相鉄線の希望ヶ丘駅に向かう道の途中、少し変わった建築物を見つけました。外壁など老朽化して年代を感じさせる部分もありましたが、屋根の形状やガラスの使い方、広場のつくりは、古くささを感じさせません。それが「横浜市希望ヶ丘地区センター」でした。

 横浜市の地区センターなので、横浜市民は自由に入れます。一応、建物名称を再度、確認して中に足を踏み入れてみると、やはり一般的な地区センターとは少し趣が異なる雰囲気を醸し出していました。入り口の正面奥はガラス・ブロックの曲面で彩られており、上階・下階へとつながる階段部分に設けられた窓も円形です。ぐるりと中を巡って建築を堪能すると、設計者が気になり出しました。「まぁ!あとで市役所に聞いてみるか?」と深く考えず、その日は現地を後にしました。

横浜市の地区センター第1号                                                 後日、web上で設計者を調べたところ、明確な情報は皆無。横浜市の資料をひっくり返しても設計者の名前は得られませんでした。ただし少しわかったことがあります。それは1973年5月に開館した「希望ヶ丘地区センター」は横浜市の地区センター第1号ということです。第1号の建築物なら横浜市役所に情報がたくさん残っているだろうと安心し、市役所に設計者を問い合わせましたが、「不明」という回答が返ってきました。  予想が外れたので、手っ取り早く人海戦術に移ります。横浜市建築局OBを訪ねたり、メールや電話など、思いつくままに問い合わせました。加えて横浜市中央図書館で地区センターのある旭区の歴史から地区センターに関連した行政情報などを探しましたが、「希望ヶ丘地区センター」に関する手がかりは得られませんでした。

TAS建築事務所?                                        調べる中で、隣接する「横浜市中希望ヶ丘保育園新築工事」の図面を見させてもらうことができました。保育園を設計した事務所の名称は「株式会社TAS建築事務所」、設計者は「嵐田形造」でした。この図面上は、地区センターの建てられている場所には「青少年会館」という建物の名称がありました。そして、この土地は地元の人から1971年12月に提供されたこともweb情報でわかりました。 現在、地区センターのある土地は、民間人から土地を譲り受けたのですから、元々、公共施設が建設されているはずがありません。「青少年会館」は民間施設ではないだろうという予想はありましたが、横浜市中央図書館で過去の行政計画を調べてみると、横浜市内で「青少年会館」を2か所に建設する計画が進められていたことがわかりました。そして、この「青少年会館」は、結果として建てられることはなく、計画が具体化することはなかったようです。

須山設計?                                         何日か経過し、建築局OBの皆様からは、色々な情報が寄せられました。時系列でまとめると、当初設計の後に、1979年のテニスコート設置工事、1986年の増築工事(たぶん体育館)が行われており、これは須山設計(故・須山善三郎氏)が設計を担当。2006年に実施された再整備工事は創和設計が手がけたそうです。「須山設計が増築工事を設計しているのだから須山設計が元設計だろう。当時はそういう対応をしていた」と言う声もありました。一方で、地元設計界の長老からは、「須山設計は1974年の設立だから1973年5月竣工した建築物の設計はできない」と言われました。図面から得られた情報の「株式会社TAS建築事務所」も、TACだったり、設計だったりと微妙な不一致が残り、混乱は続きます。Web上には似たような名前の会社が無数にあり、確認しきれないからです。

消えた設計事務所                                     「TAS建築事務所」と「須山設計」とも現在は存在しません。ともに「建築士名簿・建築士事務所登録簿閲覧システム」を検索しましたが、該当する事務所を確認できませんでした。須山設計は過去に加盟していた団体から2024年6月の解散が確認できました。  TAS建築事務所も探し出せませんでしたが、設計者の「嵐田形造」氏は、「建築士名簿・建築士事務所登録簿閲覧システム」で建築士登録番号と名前の一致する人が存在しました。またweb上で、稲門建築会と村野藤吾記念会に同姓同名の人物を確認できましたが、TAS建築事務所との関係を結び付ける情報は確認できませんでした。稲門会に所属していた人は2014年頃に訃報が掲載されていました。

原点回帰                                           そんなこんなで疑問点を数多く残す状況が続き、行き詰まりを感じたので初心に返り、希望ヶ丘地区センターに再度、伺いました。さすが横浜市!図面はきちんと保管されており、設計者はTAS建築事務所(嵐田形造氏)ということが確認できました。そして建物名称は「横浜市中希望ヶ丘青少年会館新築工事」となっていました。「横浜市中希望ヶ丘保育園新築工事」の図面から得られた情報と一致しました。  須山設計という話は勘違いだったのかと思っていたところで、新しい情報が届きます。1974年5月1日に発刊された「建築文化」(No.331)の「いまコミュニティセンターをどう考える」の記事の中に、横浜市希望ヶ丘地区センターが掲載されているそうです。50年以上前の古い雑誌なので書店で買うことはできませんが、横浜市中央図書館で書籍を検索しても出てこなかったのですが、国会図書館の情報を検索して見つけ出して印刷する方法に悩んでいたところ、図書館職員の方に「書庫にありますよ」といわれ、これを無事、手中に収めることができました。

雑誌「建築文化」                                     「建築文化」によると、設計/総括は、須山善三郎、設計/意匠は、TAS建築事務所と記載されていました。加えて、「希望ヶ丘地区センター追跡調査中間報告(概要)」を須山建築設計事務所+日本大学生産工学部建築工学科若木研究室が執筆していました。須山設計は設立当初、「須山建築設計事務所」という名称だったので、間違いありません。

 これで多くの疑問点が解消できました。私の想像を多分に含んではいますが、元々、中希望ヶ丘保育園と中希望ヶ丘青少年会館の建設計画があった。それに伴いTAS建築事務所に設計業務が委託されていた。故・須山善三郎氏は、設計事務所を立ち上げる前に、この設計業務に対して、設計(総括)という立場で関与していた。この関係で施設の改修が計画された時、須山設計が設計者に選ばれた。ということではないでしょうか?これだとすべての情報が繋がります。

 設計の段階では、「須山善三郎」という個人であり、施設の完成後、74年5月の発刊時点では、「須山建築設計事務所」になっていた。須山設計の74年設立とも符合します。疑問点の一つであった「設立」の問題も、想像の範囲ですが、違和感はなくなりました。

 保育園の問題も答えが掲載されていました。記事中で建物の名称は「横浜市希望ヶ丘地区センター+保育園」となっているのです。雑誌では、保育園の工期が分けられずに記載されています。「中希望ヶ丘保育園新築工事」の図面から想像すると保育園と同時期に「中希望ヶ丘青少年会館」の設計がTAS建築事務所によって進められており、施工は両施設を一体的に発注したことが推察できます。雑誌に掲載されている全景写真も建物の雁行した姿から一体的な施設だったことがわかります。

 また、当時の保育園は現在と違って「市営」が多くありました。希望ヶ丘地区センターの少し変わった意匠も、元々「青少年会館」として計画が進んでいたため、他の地区センターとは異なったとも感じます。最終的に建物用途が地区センターに変わった結果、須山設計がテニスコートの設計や体育館の増築設計を手がけて、地区センターに求められる機能を補完あるいは充実させたのではないでしょうか?

雑誌によると着工は1972年6月ですので、土地の取得から、ほぼ半年で設計業務が終わったことになります。これは本当かな?青少年会館の計画が進んでいたとすると、あり得るのかな?と、まだ、いくつかの疑問は残りますが、ほぼ解消されました。

 雑誌「建築文化」に掲載されていた情報は以下のとおりです。                      ◇設計=/総括:須山善三郎、/意匠:TAS建築事務所、設計/電気:日電設計、/設備:眞設備研究所、監理:横浜市建築局庁舎建設課                                       ◇施工=/建築:足立建築、/電気:新興電設工業、/設備:日本理装工業、                            ◇構造=RC造2階建て(保育園部分1階建て)、工期/1972年6月~1973年5月

おわりに                                                       現在の「中希望が丘保育園」は、社会福祉法人みらいが運営しています。HP上では1973年5月1日開園、2007年4月1日に横浜市より移管となっています。建物は雑誌に記載されている1階建てと異なり、2階建てに見えます。意匠も異なります。新しい保育園は、設計をSmart Running 一級建築士事務所(千葉市中央区)、施工をキクシマ(横浜市港南区)が担当し、2010年に竣工しました。

 須山設計は10-15年ほど前の記憶ですが、2007年度(平成19年度)から始まった、横浜市建築局の優良建築設計者表彰で、最優秀賞を受賞した回数が最も多い設計事務所でした。故・須山善三郎氏は、絵心豊かな人で、毎年のように水彩画の個展を開いていました。数多くのきれいな建築物を横浜市内に生み出していた設計事務所でした。個人的には1998年に竣工した「洗手亭(山下町公衆トイレ)」の印象が深く、これらの作品は、現在も横浜市内に数多く残っています。

 一方の「TAS建築事務所」という名称で確認できた建築作品は、香川県高松市に残る「川島猛アートファクトリー」がありました。このアートファクトリー自体はリノベーションによって誕生した施設です。1969年にオリエンタルモーターの工場としてTAS建築事務所が設計、清水建設が施工した建築物が生まれ変わっています。

 この建物は、文化庁のホームページに詳細が掲載されています。「近代の文化遺産の保存と活用」の中で、「調査研究」「近現代建造物緊急重点調査(建築)」「香川県」へと進むと15番目に「瀬⼾内海や五⾊台の⼭々に囲まれた周辺環境を考慮し、また平⾯的にも、⽴⾯的にも敷地の傾斜を⽣かした計画が特徴的な作品である。さらに、⼯場としての役割を終えた後も、コンバージョンが⾏われ、現在も使い続けられている点は、継続性の観点からも評価できるものである」と記述されており、高く評価されています。

 TAS建築事務所は多分、東京都内の事務所ではないかと思います。武蔵野稲門会に故・嵐田形造氏の名前を確認できたので都内に居住していた可能性があります。また、横浜市建築局のOB職員たちが、ほとんど設計事務所名を認識していなかったので、横浜市内設計事務所ではないと思いますことがあります。「聞いたことがあるよ」と教えてくれた元まちづくり調整局長もいましたが、横浜市政への関与は薄かったのだと感じます。  横浜市民のコミュニティ形成を目指した「地区センター」の黎明期に立ち会った二人の建築家の作品は、半世紀を経た現在も生き続けていました。須山設計は横浜市から高く評価されていましたが、TAS建築事務所についても文化庁から高評価されていることがわかり、よかったです。調査をする上で、希望ヶ丘地区センターには何度か足を運びました。この時、建物の写真を撮るのを躊躇させるぐらい、多くの利用者に会いました。半世紀を過ぎても古くささを感じさせることなく、地域の人々に使われ、賑やかなコミュニティの場として活躍していました。

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